リパーゼ事件

リパーゼ事件とは、審決取消訴訟に関する事件であり、拒絶査定を維持した特許庁の拒絶審決に対して特許出願人が不服を申し立てた事件です。争点は、新規性や進歩性などの判断対象となった発明の要旨の認定、特に、特許請求の範囲に記載された「リパーゼ」という用語の解釈にありました。問題となった特許出願は、「トリグリセリドの測定法」に関するものでした。

東京高等裁判所は、特許請求の範囲に記載された「リパーゼ」には、文言上何ら限定がないことを認めつつも、発明の詳細な説明を考慮すると、それはRaリパーゼを意味すると狭く解釈しました。そこで、特許庁の審決がその解釈を誤っていると判断し、拒絶審決を取り消しました。

しかしながら、最高裁判所は、次のように示し、原判決を破棄して東京高等裁判所に差し戻しました。

「要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解 することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。

本件についてみると、特許請求の範囲の記載には、トリグリセリドを酵素的に鹸化する際に使用するリパーゼについてこれを限定する旨の記載はなく、右のような特段の事情も認められないから、本願発明の特許請求の 範囲に記載のリパーゼがRaリパーゼに限定されるものであると解することはできない。」

 

リパーゼ事件最高裁判決後の混乱

この最高裁判決後には、技術的範囲の認定に関する考え方が複数発生し、リパーゼ事件最高裁判決の解釈に際し、混乱が生じました。

1つ目の考え方は、特段の事情がない限り、発明の詳細な説明や図面は、用語の明確化のためであっても参照できないというものです。

2つ目の考え方は、原則として、発明の詳細な説明の参照が許容されることを前提として、特許請求の範囲に明示的に記載された技術的事項が明確に把握できる場合には、それ以上に限定することはできないというものです。また、特許請求の範囲に記載されていない事項は、記載のないものとして扱うべきというものです。

当時の工業所有権審議会は、このような状況を踏まえ、特許法第70条において、「特許請求の範囲の記載は、発明の詳細な説明及び図面の記載を参照して解釈される」と新たに規定することが適当であるとの認識の下で、上記2つ目の考え方を確認的に規定することを提言しました。

リパーゼ事件最高裁判決を受けて特許法の改正

そこで、平成6年法改正において、特許法第70条第2項が設けられ、「願書に添付した明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載及び図面を考慮して、 特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする。」と規定されました。

なお、この規定は、特許請求の範囲に記載された用語の意義の解釈についてのものであるため、

  1. 特許発明の技術的範囲を発明の詳細な説明中に記載された実施例に限定して解釈すること、
  2. 発明の詳細な説明中には記載されているが特許請求の範囲には記載されていない事項を特許請求の範囲に記載されているものと解釈すること
が容認されるものでないということになっています。

参照 産業財産権法(工業所有権法)の解説 平成6年法 第4章 クレーム解釈にあたっての発明の詳細な説明の参酌 https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/kaisetu/sangyozaisan/sangyou_zaisanhou.html

 

リパーゼ事件最高裁判決

昭和62(行ツ)3 審決取消 特許権 行政訴訟

平成3年3月8日 最高裁判所第二小法廷 判決 破棄差戻

主文

原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

 一 原審の確定したところによれば、(一) 被上告人のした本件特許出願の拒絶査定に対する審判請求において特許庁がした審決は、本願発明の要旨を、別紙明細書抜粋の特許請求の範囲記載のとおり認定した上、第一ないし第六引用例に記載された発明に基づいて本願発明の進歩性を否定し、本件審判請求は成り立たないとした、(二) そして、本件特許出願の明細書の発明の詳細な説明には、別紙明細書抜粋の(1)ないし(10)の記載がある、というのである。
二 原審は、右確定事実に基づいて、次のとおり認定判断し、審決には、本願発明の基本構成部分の解釈を誤った結果、同部分の進歩性を否定した違法があり、右の誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるとして、これを取り消した。 1 本願明細書の発明の詳細な説明中の前記(4)記載の方法は、リゾプス・アルヒズス(リゾプス・アリツスと同義)からのリパーゼ(以下「Raリパーゼ」という。)によるトリグリセリドの酵素的鹸化により遊離するグリセリンを測定するトリグリセリドの測定方法であるところ、これは、Raリパーゼを使用してトリグリセリドを測定する方法に関する被上告人出願の昭和四五年特許願第一三〇七八八号の発明の構成、すなわち、その特許請求の範囲に記載されている、「溶液、殊に体液中のリポ蛋白質に結合して存在するトリグリセリド及び/又は蛋白質不含の中性脂肪を全酵素的かつ定量的に検出するに当り、リポ蛋白質及び蛋白質不含の中性脂肪をリゾプス・アルヒズスから得られるリパーゼを用いて分解し、かつ分解生成物として得られるグリセリンを自体公知の方法で酵素的に測定することを特徴とする、トリグリセリドの定量的検出法」との構成と実質的に同一である。そして、本願明細書の発明の詳細な説明の記載による限り、本願発明は、(4)記載の測定方法の改良を目的とするものであるから、Raリパーゼを使用することを前提とするものということができる。
 2 本願明細書の(4)の記載によれば、本願発明の発明者は、Raリパーゼ以外のリパーゼはRaリパーゼのように許容される時間内にトリグリセリドを完全に分解する能力がなく、遊離グリセリンによるトリグリセリドの測定には不適当であると認識しているものと認められるから、発明者が、右のようなトリグリセリド測定に不適当なリパーゼをも含める意味で本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に広く「リパーゼ」と記載したものと解することはできない。
 3 本願明細書の発明の詳細な説明に記載された「リパーゼ」の文言は、Raリパーゼを指すものということができる。
 4 そうであれば、本願明細書の発明の詳細な説明の記載により前記(4)記載の測定方法の改良として技術的に裏付けられているのは、Raリパーゼを使用するものだけであり、本願明細書に記載された実施例も、Raリパーゼを使用したものだけが示されている。
 5 そうすると、本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に記載された「リパーゼ」は、文言上何らの限定はないが、Raリパーゼを意味するものと解するのが相当である。
三 しかしながら、原審の右の判断は、にわかに是認することができない。その理由は、次のとおりである。
特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法三六条五項の規定)からみて明らかである。  これを本件についてみると、原審が確定した前記事実関係によれば、本願発明の特許請求の範囲の記載には、トリグリセリドを酵素的に鹸化する際に使用するリパーゼについてこれを限定する旨の記載はなく、右のような特段の事情も認められないから、本願発明の特許請求の範囲に記載のリパーゼがRaリパーゼに限定されるものであると解することはできない。原審は、本願発明は前記(4)記載の測定方法の改良を目的とするものであるが、その改良として技術的に裏付けられているのは、Raリパーゼを使用するものだけであり、本願明細書に記載された実施例もRaリパーゼを使用したものだけが示されていると認定しているが、本願発明の測定法の技術分野において、Raリパーゼ以外のリパーゼはおよそ用いられるものでないことが当業者の一般的な技術常識になっているとはいえないから、明細書の発明の詳細な説明で技術的に裏付けられているのがRaリパーゼを使用するものだけであるとか、実施例がRaリパーゼを使用するものだけであることのみから、特許請求の範囲に記載されたリパーゼをRaリパーゼと限定して解することはできないというべきである。
四 そうすると、原審の確定した前記事実関係から、本願発明の特許請求の範囲の記載中にあるリパーゼはRaリパーゼを意味するものであるとし、本願発明が採用した酵素はRaリパーゼに限定されるものであると解した原審の判断には、特許出願に係る発明の進歩性の要件の有無を審理する前提としてされるべき発明の要旨認定に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点の違法をいう論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。
 よって、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

昭和62(行ツ)3判決文

 

アーウェル国際特許事務所の化学について